セリム先生の文化交流ティー・トーク

新連載のインタビュー・シリーズ!


昨今では、毎日のように「イスラーム」という言葉を耳にします。
イスラーム圏を旅行する日本人は年々増えており、
日本に暮らすイスラーム教徒の姿を街で見かけることも、
珍しくなくなってきました。そこで、この新しいシリーズでは、

「Q&Aの会」や「セリム先生を囲むティー・トーク」で
おなじみのギュレチ・セリム・ユジェル氏に、イスラームの本音と
ありのままのイスラームの魅力を語ってもらいます。
在日18年、日本・イスラームの文化交流に東奔西走する

日々のエピソードや、イスタンブルの思い出を交えた
セリム先生のティー・トークを、どうぞお楽しみください。



ギュレチ・セリム・ユジェル
イスラーム文化センター代表


 第一話 日本に来て驚いたこと(その1)


「私の名前は

"ニコニコ" です」──ギュレチ・セリム・ユジェル氏


セリム先生 アッサラームアライクム!(あなたの上に平安がありますようにの意)

── 返事は、ワアライクムッサラーム(あなたの上にもの意)ですね。

セリム先生 その通りです。このアラビア語の挨拶は、万国共通の心を開く鍵です。いまや、世界人口の5分の1を占める、イスラームの人々に共通の挨拶です。国境も、肌の色も関係ありません。もしもどこかでムスリム(イスラーム教徒)に出会ったら、「アッサラームアライクム」と笑顔で挨拶してください。そうしたら、その人は嬉しくなって心を開いてくれます。

── セリム先生の名字の「ギュレチ」さんは、トルコ語で「笑顔の人」という意味だそうですね。

セリム先生 だから、私の名前は「ニコニコ」です(笑)。笑顔は、アッサラームアライクムとともに、イスラームにおいて大切な美徳とされます。日本に初めてやってきたとき、この国の人々の笑顔や、人に接するときの丁寧さ、挨拶などに触れて、ああ、日本は安心できる規範のある社会なんだな、とホッとしたのを覚えています。そうした日本人の美徳を数えていくと、イスラームの価値観の70〜80%は、すでに理解されていることになります。日本とイスラームには、多くの共通項があるのです。

── それにしても、日本語がお上手です。

セリム先生 ありがとうございます。今年で在日18年目を迎えます。こんなに長く日本に住むことになるとは!(笑)。トルコでは行政学を専門にしていました。1990年に来日して、島根大学でも、東京大学でも、日本の地方自治、特に都道府県知事の研究をしていました。最終的な目的は、その経験を持ち帰って、国が任命する知事制度を持つトルコの、将来の改革に活かすことだった。ところが、日本に来た翌年、私の人生を180度転換させる、衝撃的な出来事に遭遇したのです。

── それが、1991年に勃発した湾岸戦争だった。

セリム先生 戦争が始まった翌日、大学の研究室に行くと、扉の前で数人の新聞記者が待っていました。そして、トルコ人の私に、「同じイスラーム教徒としてどう思うか」と訊くのです。ひとくちにイスラームと言っても、地域によって民族、言語、文化は多様なのに、日本では「イスラーム圏」という言葉ですべてが語られる傾向にあります。さっき、「イスラームの価値観の70〜80%は、日本人に理解されている」と申しましたが、予想もしなかった誤解に驚かされることもしばしばで、そのギャップに驚きました。この衝撃的な出来事をきっかけに、イスラームに対する偏見を解いて、イメージを回復し、サラームを実現させたい、と強く思うようになったのです。(つづく)

2月12日(月)掲載

■ Profile
ギュレチ・セリム・ユジェル
イスラーム文化センター(京都)で活動中のギュレチ・セリム・ユジェル氏は、トルコのイスラーム学院、東京大学大学院、京都大学大学院で学び、トルコ大使館報道部勤務、東京モスク副代表を経て、来日以来一貫して、日本・イスラームの文化交流に取り組んでいます。

在日18 年、流暢な日本語とユーモアあふれる存在感で、誰からも「セリムさん」と親しまれるギュレチ氏は、立命館大学、東洋大学、YMCA専門学校ほか、全国各地で講義を行って人気上昇中。毎月、東京、京都、大阪で、「何でも聞けるイスラームQ&Aの会」を主宰し、どんな質問にも丁寧に答えてくれると評判に。その活動ぶりは、新聞・雑誌にも多数取り上げられています。

論文に「日本に来たムスリムたち」「イスラームと新技術」、近刊に「イスラームと日本12話 文化交流ティートーク」(2007年刊行予定)などがあります。

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